収穫した野菜と吉子 パチリコ。
会社から家に帰り、夕暮れの光の下、その晩食べる分だけ野菜を
収穫するのが最近の日課。
野菜を収穫していると、遊ぼうよと、畑に入り込む 吉子。
そして、ソワソワと動きまくる、
“頼むから 苗をなぎ倒さないでよね!”
と猫相手に話しかける私。
数日前まで縄張り争いで若干ナーバス気味でしたが、いつも
の調子が戻った感じ、、
ほら!この通り、虫を追い掛け、網戸に這い蹲る 吉子。
壊さないでね、頼むから。。
数週間前に“どうぞ宜しくお願い致します。”
と言う言葉をメールで互いに交わし、7月1日に よーいドン!
と、音が聞こえたかの様に、毎日、毎日 メールを交わす。
1日から、大概の人が知っている会社の取締役が私の居る
職場に非常勤としてやってきた。秘書の経験があったのもあって
その人の秘書業務が最近私の業務に加わった。
着任したばかりと言う事もあり、社内からのアポイント
メントが多い。 そのアポを、非常勤の人が所属する
会社の その人専任の秘書へメールにてお伺いを立てる、
そんな流れ。
“ねーねー家にも来てよ”
言わば、本妻と愛人みたいな感じ。
その本妻と毎日かなりの数のメールを交わす。
その非常勤の人は、外部の人であり、社内的に
仰々しく扱っているのもあり、必然的に私も
かなり謙った文面となり、もれなく本妻も謙った文面で
返してくる。そして、確認に確認を重ねる。
メールの返信を打ちながら、
“ああ 受信箱に私の名前を見つけて、嫌気が差しているだろう”
毎日、夕方位になると、そう思いながら送信ボタンを押している。
それ位の数を交わしている。恐らく本妻もそう思っているに違いない。
しかし、宛先のCCやBCCに、紐付きで色んな人が入っているので、それを
止める訳にもいかない。 その、CCやBCCで遠巻きに見ている職員からの
メール送信後の指令もあり、1日のメール数は相当の数になる。
そんな、メールを朝一から黙々とずうっとしていた時、昼前、目の前に座る
同僚からランチのお誘いが舞い込んだ。生憎、お弁当を持参していたので
“又の機会に”と断った。
毎日の昼のスタイル、音楽・読書・弁当で昼の時間を迎えた。
音楽が外界と遮断してくれるので本に集中しやすいのもあって、今日は
いつも以上に本の世界に入り込み過ぎて、一人自席で号泣しかかった。
“いかん いかん 此処は職場、本とは言え 周りから見たら
単なる精神不安定に見えてしまう”
と気持ちを立て直した。その瞬間、、
“ああ 外界と遮断され、どっぷり本の世界に入れて楽しい”
と思った瞬間、自分が人疲れしている事に気付いた。
人に会っている訳ではないのだけど、メールと言う、音も無く、
見えない相手だからこそ、疲れる。
逆に、目の前に居て、目の動き、声を聴きながら、言葉を
交わした方が、疲れるが、幾分楽なのだろう。
そう気付いた時、メールの便利さに相反して、文面の表現難しさ、
解釈の難しさを痛感した。証拠を残す、監視する、この点があるので、
電話での生のやり取りに変えることは無いし、全てを電話連絡にしたら
それはそれで互いの業務に差障りが出かねない。
しかしこれだけのメールでのやり取りしている間は、沢山の
言葉を本妻と交わしていても、何時までも軽口叩ける様にはならない
し、ショートカットな文面にはならないのだろう。
便利さと不自然さの間に揺ら揺らと揺れる様な気持ちになった。
帰り際、課の上司が、
“業務が一気に増えてごめんなさい”
と言った。これは、証拠があるから私の状況も監視が出来ているのだ。
現代ってば!難しいなぁと思いながら帰宅すると、縄張り争いから
開放された、吉子が出迎えてくれた。
吉子もきっと、猫疲れする毎日なのよね。