もうどれ位の月日が経ったのだろうか。
そう、昨年のお正月明けに聞いた悲報。
少し前まで同じ部署に居た人が事故に遭い、
危ない状況だという事。
その報告前日も仕事のメールを交わし
当たり前だけど、いつも通り普通にその日も過していた。
なのに、一つの交通事故によって、
本人の未来だけで無く、ご家族全員が悲しみの
淵に立たされるなんて、辛過ぎる現実に知った。
脳死状態とも言われたが、その後何度かの手術を
経て、意識が戻ってきたという話を聞いたのは、
事故から半年以上経ってから。
私が今居る職場は、競争原理に立たされていないからか
基本穏やかな人が多い。だからと言う訳では無いのかも
しれないが、事故直後の意識の無い頃から、同僚の人が、
入れ替わり立代わり、お見舞いに行っている。
手術等大きな治療以外の時は、長野だか少し東京から
離れているリハビリ病院に入院しているそうで、土日を使い
定期的に病院を訪問し、少しでも事故前の本人の記憶を
取り戻そうと、仕事の事、会社での出来事を話していると聞いた。
ある時は、同僚の写真を一人一人撮り、メッセージを添えて
送った時もあった。
事故から1年半近く経過した先日、仲良くしている職員から
一つの報告があった。
週末、お見舞いに行ってきた事。(彼女は、数回目)
車椅子に座る事が出来る様になった事。
「どうして?」「なんで?」と言う受け応えが出来る様になった事。
トレードマークだった坊主頭には、ベレー帽を被り、スカーフを
首に巻いてオシャレさんになっていたという事。
そして1枚の写真が添付されていた。
今までの何度か耳にした報告の中で、希望が
あふれ、少しユーモアを交えた内容は、初めてだった。
定期的に展開されていた、報告は正直辛いものが多かった。
危ない状況が続いている、意識は、戻っていない、
眼球だけ動かせる状態、意識が戻っても植物状態。
そんな中、その間も足繁く遠い病院に通い、
本人を励まし続けていた先の出来事だった。
私も割と長い期間、同じ課に居たのもあって、容態がとても
気になっていたが、自分の立場を弁え、お見舞い等はせずに
人づてにお見舞いの報告を受けて、一喜一憂していた。
私が、治療真っ最中の頃、職場へ、病気の報告した後に
一通の励ましのメールをくれた事が、とても印象に残っている。
その一文に、
「うまく、表現できないけど、カッコいい」と思いました。
と言う文章があった。
死の淵から戻ってきて、ご家族の笑顔を取り戻しつつある今
「もっと もっと かっこ良過ぎる 」と 思います。
と実際に声を掛ける事が
出来る日がくれば良いと心から思う。